ファーブラとシュジェート
ファーブラとシュジェート
ファーブラとシュジェートとは、「物語の中で何が起きたか」と「それを作品がどのように読者へ示すか」を分けて考えるための対概念です。ファーブラは出来事を時間的・因果的なつながりとして組み直したもの、シュジェートはその出来事を選び、並べ、語る作品上の構成を指します。
たとえば、失踪、捜索、発見という出来事を、発見場面から始めて失踪へ戻り、捜索の真相を最後に明かすことができます。起きた出来事が同じでも、読者の疑問、人物への印象、緊張の置き場所は変わります。この差を見える形にするのが二つの用語の役割です。
ファーブラとシュジェートの定義
ファーブラは、作品に示された情報から、出来事を作中で起きた順序と因果関係に沿って再構成した連なりです。「王が倒れた。その後、王子が国を去った」「王の死を知ったため、王子が国を去った」のように、何が先で、何が次の出来事を生んだかを整理します。
シュジェートは、出来事が本文で提示される順序だけを意味しません。どの場面から始めるか、何を省くか、どこを長く描くか、同じ事件を何度見せるか、誰の知識や知覚を通すか、どの情報をいつ明かすかまで含む、作品上の処理を考える言葉です。
ただし、ファーブラを作品以前の素材と考えるか、読者が語りから再構成する抽象物と考えるかには、理論上の幅があります。創作では「出来事の地図」と捉えると扱いやすくなります。
用語の由来と表記
この区別は、20世紀初頭のロシア・フォルマリズムで発展しました。ボリス・トマシェフスキーは1925年の「主題論」で物語の要素を整理し、ヴィクトル・シクロフスキーらも、出来事の素材が作品の形式によってどう組み立てられるかを論じました。
「シュジェート」には syuzhet、sjuzhet、sujet などの翻字があります。日本語でも説明の仕方や対応させる訳語に揺れがあるため、表記が異なるだけで別の技法だと考える必要はありません。本記事では初出以降を「シュジェート」に統一します。
後の物語論には story / discourse など、出来事と語り方を分ける類似の枠組みがあります。ただし各理論の射程は一致しないため、完全な同義語とはみなしません。
ストーリー、プロット、アナクロニーとの違い
日常的な「ストーリー」「プロット」は使う人によって範囲が変わります。それぞれにおおよそ対応すると説明されますが、完全な同義語ではありません。
| 用語 | 主に確認するもの | 創作上の問い |
|---|---|---|
| ファーブラ | 出来事の時間的・因果的な連なり | 実際には何が、なぜ起きたか |
| シュジェート | 出来事の選択、配置、速度、反復、視点、情報量 | 読者へ何を、いつ、どう経験させるか |
| ストーリー | 人物や出来事を含む物語内容のまとまり | どんな物語なのか |
| プロット | 出来事を因果で結び、展開として組み立てる実作上の構成 | 出来事がどう次を引き起こすか |
| アナクロニー | 出来事の順序と語る順序のずれ | 過去や未来をどこに配置するか |
アナクロニーは、ファーブラ上の順序と提示順のずれに焦点を当てます。一方、シュジェートは順序が同じ作品にもあります。十年間を一文で省略する、同じ会話を別人物から反復するといった速度や情報の操作も含みます。
物語にもたらす効果
第一の効果は、同じ出来事から異なる問いを作れることです。失踪から始めれば「どこへ行ったのか」が中心になります。遺体の発見から始めて失踪へ戻れば、「なぜこの結果になったのか」が読者を引っ張ります。サスペンスの対象を、未来の結果から過去の原因へ移せます。
第二の効果は、人物への評価を変えられることです。主人公が友人を疑う場面を先に見せれば、友人の沈黙は怪しく映ります。先に友人が秘密を守る約束をした場面を示せば、同じ沈黙が誠実さや苦しさとして読めます。出来事を変えずに、読者が誰へ同調するかを調整できます。
第三の効果は、驚きと読み直しを作ることです。後から明かす情報が以前の台詞や小道具へ新しい意味を返せば、読者は出来事の因果を再構成します。
第四の効果は、主題を形式で強調できることです。記憶の不確かさを描くなら、同じ事件を食い違う証言として反復し、読者にも再構成を求められます。
ファーブラとシュジェートを設計する手順
最初から章を入れ替えるのではなく、まず出来事を発生順へ戻します。作者自身が原因と結果を説明できなければ、意図的な謎と矛盾を区別できません。その後、読者にどんな問いと感情を持たせたいかに合わせて提示方法を選びます。
- 出来事を発生順に並べる 主要な出来事へA、B、Cと記号を付け、日時と関係人物を書きます。
- 因果を一文でつなぐ 「Bが起きたためCを選んだ」の形で結び、偶然や説明不足を見つけます。
- 読者に先に持たせる問いを決める 「犯人は誰か」「なぜ別れたか」「約束を守れるか」から中心を一つ選びます。
- 開始点と開示順を選ぶ Aから始めるか、結果のCから始めるかを比較し、伏せる情報と見せる手がかりを決めます。
- 速度、反復、視点を調整する 重要な選択は場面で描き、移動や反復は要約します。必要なら焦点化を変え、同じ事件から新しい情報を出します。
- 二つの並びを照合する 発生順と提示順を別々に読み、時間、知識、因果に矛盾がないか確認します。
途中から始める場合は、イン・メディアス・レスが作品の中心的な問いを正しく約束しているかも確かめます。
短い創作例
ファーブラを次の三つとします。A「ユナが兄の失踪を知る」、B「港で兄を捜す」、C「無人船で兄の手帳を発見する」です。
無人船の机に、兄の手帳が開かれていた。最後の行には、昨日のユナの言葉が書かれている。まだ誰にも話していない言葉だった。
三日前、ユナは兄の部屋で、港行きの切符を見つけた。家族は旅行だと言ったが、机の時計だけが海水で濡れていた。
この例の提示順はCからAへ進み、その後Bへ向かいます。最初に発見を置くことで、「兄はどこにいるか」に加えて「なぜ手帳が未来のような情報を知るのか」という問いが生まれます。Aから順に語れば捜索の進展が中心になり、Cから始めれば不可解な結果の原因を探る構成になります。
家族関係の変化を丁寧に追うならA・B・C、不気味な結果から原因を探らせるならC・A・Bが向きます。どちらでも、兄が手帳を残した理由とユナが港へ行く因果は必要です。
失敗しやすい点
最も多い失敗は、時系列を崩すこと自体を目的にすることです。疑問、感情、人物理解が強まらないなら負担だけが増えます。時系列順の版と比べ、効果を説明できない入れ替えは戻します。
次に、作者だけが知る情報を都合よく後出しする失敗があります。視点人物が当然考える事実を不自然に避けず、開示前にも複数の解釈ができる手がかりを置きます。
ファーブラの因果が弱いまま、提示の技巧で隠すことにも注意します。発見、告白、対決が並んでいても、人物がなぜその行動を選んだか説明できなければ、並べ替えても物語は強くなりません。まず発生順で人物の目的、選択、結果を確認します。
また、ファーブラを「あらすじ」、シュジェートを「複雑なプロット」とだけ覚えると、速度や反復、情報量を見落とします。時系列順の作品にもシュジェートはあり、複雑な順序が必須ではありません。用語の正解を当てるより、出来事と提示のどちらを直しているのか区別するために使いましょう。
推敲チェックリスト
- 主要な出来事を作中で起きた順に並べ直せるか
- 各出来事の原因と結果を一文でつなげられるか
- ファーブラ上の日時、移動、人物の年齢に矛盾がないか
- 読者へ提示する順番を別の一覧にできるか
- 開始点によって生まれる中心的な問いが明確か
- 情報を伏せる理由が、作者の都合だけになっていないか
- 開示後に以前の場面を読み直せる手がかりがあるか
- 省略、要約、場面化の配分が重要度に合っているか
- 同じ出来事を反復するたび、新しい情報や解釈が加わるか
- 視点人物が知り得る情報の範囲を守っているか
- 時系列順へ戻した版より、狙った感情や主題が強まるか
- 複雑さを減らしても失われない仕掛けを整理したか
まとめ
ファーブラは、作品から再構成できる出来事の時間的・因果的な連なりです。シュジェートは、それをどの順序、速度、反復、視点、情報量で読者へ提示するかという作品上の構成です。両者を分けると、筋の矛盾を直す作業と、読書体験を整える作業を混同しにくくなります。
まず主要な出来事を五つ、発生順に並べて因果をつないでください。次に同じカードを読者へ見せたい順へ並べ替え、各変更の横へ「ここで生まれる問い」と「ここで変わる人物評価」を書きます。答えがない変更を戻せば、複雑さのためではなく、狙った意味のためにシュジェートを選べます。